人生の証を手渡すということ
grytteでは、「自分の言葉を綴り、それを一冊の本にする」そんな新しいサービスを始めました。
なぜ“本”という形にしたのか――
それには、私自身がかつて出会ってきた人たちの姿があります。
今日は、その原点について少しだけ書いてみたいと思います。
かつて私が働いていた病院は、最期の時間をその場所で迎える方が多い場所でした。
高齢になり、記憶が薄れていく。
認知症の症状が進み、自分のことが自分でわからなくなっていく――
「私はどんな人生を送ってきたんだろう」
「何をして、何を考えてきた人だったんだろう」
そんな問いがぼんやりと、でも確かに浮かんでは消えていくような毎日でした。
その不確かさは、ときに深い不安や虚しさを生みます。
「自分の人生にはもう意味がないのではないか」
「自分という人間がいたということに、誰かが気づいてくれるのだろうか」
そんな気持ちを、患者さんたちはよく私に話してくださいました。
私はその傍にいて、何度も思いました。
この人の人生が、確かにここにあったということを、目に見える形で残せないだろうか、と。
日々考えていること、語ったこと、ふと漏れた言葉。
どれもがその人だけの時間であり、人生の“かけら”なのに、
そのまま消えていってしまうのは、あまりにも寂しい。
だから私は、「自分史を本にする」サービスを病院で提案し、形にしました。
患者さんにインタビューを重ね、想い出や大切にしてきたこと、
語ってくれた言葉を丁寧に紡ぎながら、一冊の「その人だけの本」をつくる。
それはまるで、今ここにいる“自分”を確認し直すような時間であり、
人生という物語に、改めて光を当てるような営みでもありました。
そんな中、ある患者さんとのやりとりが、今でも心に残っています。
その方は記憶が日々薄れていき、自分がどんな生活を送ってきたのかも思い出せないと語っていました。
「こんなに年を取ったけれど、私の人生って何だったんでしょうね」
そう呟いたときの、少し寂しげな表情を私は忘れられません。
私はその方とご家族にインタビューを重ね、その方の自分史を作りました。
完成した一冊を手に取ったその方は、本をそっと抱きしめ、
涙を流しながらも笑顔で「私の人生捨てたもんじゃないね」と言ってくださいました。
その瞬間、私ははっきりと気づきました。
私は、臨床心理士として「自分には価値がない」と感じている人の傍で、
「あなたには価値がある」と保証できるものを形にして届けたいのだ、と。
今、私はgrytteという場所で、
自分の心と向き合い、それを“本にする”という新しいサービスをつくっています。
きっかけは違っても、
そこに流れている想いは、あの頃とまったく同じです。
人は、すぐに忘れてしまいます。
昨日考えたこと、今日感じたこと、
「大事だ」と思ったその気持ち、
今まさに悩んでいることや、
誰にも言えない葛藤でさえも、
何かに追われて、忙しさに紛れて、静かに消えてしまう。
でも、その一瞬一瞬のなかにこそ、
その人が生きている証、今ここに存在している意味が詰まっていると思うのです。
だから私は、今を生きている人にも、
その“足跡”を、形に残してほしいと願っています。
たとえすぐに答えが出なくても。
言葉にするのが難しくても。
その人が心のなかで考えたことや感じたことには、
確かな意味がある。
それを信じて、そっと拾い集める。
そして、またその人の元に、私たちからのメッセージを添えて“本”という形で手渡す。
私はそのことを通して、「あなたの人生には価値がある」と声に出さずに伝えたいのだと思います。
grytteのサービスが、その人にとっての“立ち戻る場所”になりますように。
そしてまた、そこから新しい一歩を踏み出していく勇気を、
そっと手渡すものでありますように。
(新サービス 自由記述式テスト「私の心の地図」はコチラから https://grytte.jp/?page_id=3765)