心に縁側を持つ

私たちは生きていると、どうにも答えの出ないこと、正解が分からないこと、対処のしようがないことに出会うことがありますよね。

そんな時、あなたはどう考えますか?
そしてどうしますか?

何としてでも答えを出して、白黒はっきりさせたいですか?
それとも、はっきりと答えを出さず、グレーなままでも良いと思いますか?

心理学の分野では、曖昧さに耐えられる力のことを「曖昧さ耐性」と呼びます。
曖昧さ耐性が低い人は、白黒はっきりさせたい傾向が強いということになり、
曖昧さ耐性が高い人は、グレーゾーンを受け入れ、曖昧なことを曖昧なままにしておく人ということになります。

人は本能的に、物事を単純化して捉えたいところや
白か黒かといったように二極化して結論付けたいところがあるようです。
結論が出たらすっきりするのは確かですよね。

しかし、実際には白か黒かで決められることはそれほど多くはないように思います。
ほとんどのことが、白か黒かだけではない、もっと複雑だったり、曖昧だったり、不確実だったり、どちらが正解かなんて決められなかったり......
そんなもやもやしたものに包まれているのではないでしょうか。

そして曖昧さ耐性の研究においても、曖昧さ耐性の低い人は、曖昧さ耐性の高い人よりも精神的健康度が低いという研究結果が示されています。
曖昧さ耐性の高い人は、どうにもならないことを、それはそれとして割り切って次に進むことができるそうです。
確かに、どうにもならないことはどうにもしようがないですものね。

さて、パナソニックの創業者である松下幸之助さんはこのような言葉を遺しています。
「心に縁側を持て」

皆さん、縁側をご存じでしょうか?
建物の外側に沿ってある、長細い板敷きを縁側と言います。
昭和の日本家屋にはこの縁側があったと思います。
私の実家や祖母の家にも縁側があり、私は縁側に座って外を見ながらぼーっとする時間が好きでした。

この縁側というのは、庭に続く場所で、家の「内側」であるようで、「外側」でもあるような場所です。
つまり、心に縁側を持てというのは、曖昧さを許しましょうということです。
何が正しいか、何が間違いかというのは、どこまでが家の中でどこまでが外なのかということと同様に、決める必要のないことだと言っているのです。

私はこの松下幸之助さんの言葉が好きです。
心に縁側を持つということは、自分を、他者を、世の中を、自分とは異なる様々な考えを受け入れること。
そして、そのことを考えること。
そのための余白のような時間を尊重し、肯定してくれている言葉だと感じました。

私も、いつも心に縁側を持っていたいなと思っています。