「〜のせいで」を「〜のおかげで」へ

過去の出来事に心が引きずられてしまうことは、誰にでもあります。
あの人のせいで。あの環境のせいで。あの時の自分の選択のせいで。
そう考えてしまうのは、とても自然な反応です。

傷ついた心は「痛みの理由」を探します。
でも「せいで」を握りしめ続けると、気づかないうちに心の主導権が過去へ渡ってしまいます。
気がつけば、悲しさや悔しさが心の中を占めて、未来が見えにくくなってしまいます。
そして、前へ踏み出す力が静かに奪われていきます。

私はこれまで、多くの人がこの“せいで”の沼から抜け出せずに苦しむ姿を見てきました。
そして思います。
「せいで」という言葉は、自分の力を奪う言葉だと。

けれど、同じ出来事を「おかげで」と捉え直すこともできます。
それは綺麗ごとでもポジティブ思考でもありません。
過去を無かったことにするわけでもありません。
ただ、その出来事に与える“意味の向き”を少しだけ変えるということです。
そのわずかな違いが、未来の方向をゆっくりと変えていきます。

「せいで」という言葉は、私たちの日常にも静かに入り込んでいます。

親の期待が重かった“せいで”、自分の気持ちがわからなくなってしまった。
クラスや部活の環境が合わなかった“せいで”、本来の力が出せず、ただ耐えることだけに必死になってしまった。
家の経済状況が悪かった“せいで”、進みたい進路を諦めざるを得なかった。
ひどい会社に就職してしまった“せいで”、やりたくもない仕事を毎日やらされている。

こうした「せいで」は、誰の人生にも潜んでいます。
そして自分では気づかないうちに、未来の力や可能性をじわりと奪っていきます。

でも、もしどこかに“この経験のおかげで”と言える部分があるのなら、そこから未来は静かに動き始めるように思います。

私自身、人生の中で悔しかったり、困難な状況に立たされたことが何度かありました。
その度に、「このおかげで」と言える未来を自分の行動でつくろうと思い、一つひとつ乗り越えてきたつもりでいます。

大学入試センター試験のとき、不注意でマークシートの欄がひとつずれてしまい、志望校ではない大学へ進学することになりました。
当時は悔しくて仕方がありませんでしたが、そこで一生ものの友人と出会い、その友人と創部したチア部で、初心者だけのチームで全国大会に出場するという夢も叶えることができました。
あのミスの“おかげ“で、私はかけがえのない出会いと経験を手に入れられたのです。

臨床心理士になるために大学院進学を決めた時、家には学費を払う余裕がありませんでした。
私には諦めるという選択肢はなかったので、アルバイト、奨学金、さまざまな手段を探しました。
そして最終的にどうにか全額を自分で工面することができました。

お金がなかった“おかげで”、私は自分で状況を打開する方法を考え、行動することができました。
その経験は、「自分の力で自分の人生を動かせる」という確かな実感につながりました。

何かの“せいで”できないことは、人生の中で確かにあります。
しかし、どんな状況にも“おかげに変わる原資”は静かに潜んでいるように思うのです。

立ち止まってしまう日もあるかもしれません。
動けない時もあるでしょう。

でも、その時間も、小さな行動と意味付けによって、“おかげで”と言える未来につなげていくことができます。

「今の自分は、どんな一歩なら踏み出せるだろう?」
そんな小さな問いをひとつ持つだけでも、未来の流れは静かに変わり始めます。

自分の可能性を否定してしまう人。
過去の出来事への執着を手放せない人。

私たちと一緒に、その過去を“おかげで”と言える未来へと変えていく一歩を、ゆっくり踏み出してみませんか?