わがままって何だろう

「こうしたいと思うけれど、したらいけないと思うんです」
といったことが、カウンセリング中に話題に上がることがよくあります。

「私はラーメンが食べたいけれど、相手は食べたくないかもしれないから、つきあってほしいと言えない」
「私はデザイナーになりたいけれど、親の意向に従わないといけないから、自分の意志を通せない」
など、様々なことで、本当はこうしたい、こうしてほしいと思っているのに、自分の意思を伝えられなかったり、勝手にやってしまったりすることを躊躇するようです。

なぜしたらいけないと思うのか尋ねると
「わがままだと思うから」と答える方が多いです。

そんな相談をお受けしているうちに、私も「わがまま」の意味について、もっと知りたくなってしまい、調べてみました。

わがままを漢字で書くと「我侭」と書きます。
「侭」という字は、まま(そのまま)という意味があります。
我侭というのは、我のままでいる、つまり、ありのままの自分という意味なのです。

また、我侭という字をよく見てみると、「我、人に尽くす」と読めます。
ということは、わがままというのは、ありのままの自分で人(自分や他者)に尽くすことを言うのではないかと考えました。

わがままと言うと、否定的な受け取り方をされがちですが、
本来は、わがままというのは、ありのままの自分でいなさいという意味だったのではないかと解釈したくなります。
飛躍しすぎでしょうか......

今度は、わがままの反対の意味として捉えられることが多い「我慢」についても考えました。

「我慢」には、我の慢心という意味もあるのをご存じでしょうか?
我慢には、自分を偉く思い、他を軽んずること。我意を張り、他に従わないことといった意味もあるのです。

わがままは良くないことで、我慢ができることが良いことだと思っている方は多いと思います。

しかし、我慢することは「私が我慢しているおかげで、みんながうまくいっている」とか、「私は我慢しているのに、あの人は好き勝手に生きていて許せない」といった気持ちを生むこともあります。

だとすると、わがままが良くないことで、我慢が良いことと言えるのでしょうか?

我慢ができないということは、一方では、我意を張らずに、ありのままのその人でいられているということなのだと思います。

カウンセリングに来てくださる方も、「わがままはいけない」「我慢が足りない」と仰る方が多いのですが、私はむしろ、みなさんがもっとわがままになれれば良いのになと思っています。

一度きりの人生を、その人がその人らしく自由にいられるように支えること。
これは私にとっての「我侭」だなと思いました。